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わたしの#未来に残したい風景

#未来に残したい風景」で投稿コンテスト開催中です。

これまで何度も登場している、うんちくおじさん。
「サントリー 天然水の森」の活動を始めた、山田健さん(森の師匠)のこと。

森などの知識量や熱量が尋常でないが故、話が止まらない、止まらない。
1時間で終わるはずの会議が、2時間、3時間となることもある。

だから、わたしは「うんちくおじさん」と呼んでいる。(失礼)

ちょっと待てよ、と。
よくよく考えたら、わが家にもいるじゃん、うんちくおじさん。

そう、父です。
前回の記事で突然の登場した、コピーライターの父。

森の師匠には到底及びませんが、かなり物知りで、森のことにもある程度精通しているので、今の仕事でわからないことがあれば、よく質問をすることがあります。

ただ、それには注意が必要。
なぜなら、話が止まらないから。

仕事がたまっている時、急いでいる時、そんな時に話しかけようもんなら、大変。
気づけば、質問したことと関係のない話にまで及び、なんなら質問に対する答えがもらえていないのに話を切り上げなければならないことさえありました。

時間がある時は、いいんだ。存分にその知識を分けてくれ。
ただ、時間がない時は、頼むよ、父。


幼い頃は気がつかなかったけれど、わたしはずっとうんちくを聞かされていたんだと思う。

「ほら、見て。」

幼いわたしを玄関先にあるキンカンの木の前に呼ぶ。

「アゲハ蝶の卵だよ。今年もきてくれましたか。
アゲハ蝶は柑橘系の木に産卵するんだよね。」

葉っぱにはたくさんの小さな黄色い卵がついていた。

それから少し経って、
「お、見てみて、イモムシになった。
ここにいる。葉っぱを食べて、大きくなるんだよ。」

どうやら、アゲハ蝶の産卵を敬遠する人が多いらしい。
イモムシが苦手だったり、せっかく元気に育っているキンカンの葉を食べ尽くされてしまうことを嫌がったり。

でも父は真逆だった。
新しい生命の誕生を喜んでいたし、たのしんでいたと思う。

1998年 自宅のキンカンで育って、羽化したアゲハ蝶

リアル版のトランセルからバタフリーへの進化。
当時兄がやるゲームボーイの中だけの出来事が、目の前にあって、わたしは興味津々でした。

父のうんちくをどう聞いていたかは覚えていないけれど、イモムシやサナギを見て、触って、成虫になるまでを一緒に観察して、たしかに、わたしは幼い頃から生命、自然の営みに触れていました。

そういうエピソードは思い返せば、山のようにあって、
サムネイルにもある、これもそう。

1999年 サントリーの工場にほど近い、白州・尾白川渓谷にて

信じられないくらい髪が長い父に、川や森、山などいろいろなところに連れて行ってもらっては、あれこれうんちくを聞かされ、いつも父の自然に対する感性はわたしに注がれていました。

都会で育つわたしに、少しでも自然から発見や感動を得て欲しかったのでしょうか。
ただただ、うんちくを話したかったのでしょうか。定かではありませんが。


普段父は口下手な方で、よく家庭で繰り広げられるような

「勉強しなさい。」
「今やろうとしたところ!」
とか

「帰ってくるの遅いんじゃないの?」
「だって、仕方ないじゃん!」
とか

そういった会話は父とも(母とも)したことがない(と思う)。

父との会話や思い出は、自然や生き物に関わることが多かったし、幼いながらにそれを楽しんでいたように思います。

ただ、小学高学年になった頃でしょうか。
あいつがやってきました。

反抗期です。

とにかく父と話をしなくなりました。
自然の話も、父の話も、何も。

そこからわたしは、父からもらったうんちく話、すべてにフタをしたかのように、植物のこと、虫のことを初め、自然への興味をなくしました。

なくした、というより、強制的に見ないようになった、と思います。

「いやー、あの時はひどかったわ。まあ、成長には必要なんだろうけど。」
当時を振り返ると、母にたまに言われます。

(今では笑い話にしているけど、子を持つ年代になってくると、どんなに悲しいかが手にとるようにわかる。本当にごめん、父。)

反抗期が明けた頃。
反抗心は全くないし、父のことが嫌いなわけでも、話したくないわけでもないのに、
今まで会話をしてこなかった分、何を話していいかもわからず、相変わらず会話は少なかった。

それに、父がわたしに注いでくれていた自然に対する感性もすっかり、忘れていた。

けれど、人生のこれからを考えた社会人二年目、気がついた。
「あれ、わたし、コピーライターになりたいんじゃないのか?」

反抗期にはフタをしていた、幼い頃から注がれてきた父のうんちく、そして触れてきた父の感性はしっかりわたしに影響を与えていました。

えいや、とコピーライターという肩書きを手に入れたわたしは、徐々に父との会話が増えていきました。
その反抗期の後遺症が完全に治ったと感じたのが、この「サントリー 天然水の森」の仕事を始めてからです。

突然ですが、この落ち葉を見て、みなさんは何を思うでしょうか。

冬の始まりを感じるでしょうか。
この上を歩いて、サクサクと鳴る音を楽しむでしょうか。
もしくは、地味だなと思うでしょうか。

父は10年以上も前に、この落ち葉を「侘びた美しさ」と感じていたようです。

こちらは、父の書いたエッセイです。
昔は、noteではなく、サイトにエッセイとして父が言葉を綴っていたようで、この仕事に関わらせていただく前に全て読みました。

晩秋から初冬へ。林床に散り敷く落ち葉からは、
鮮やかな赤や黄金、あるいは褐色の艶やかさが
少しずつ失われていきます。けれども、それで木の葉が、美しさを無くしてしまう訳ではありません。錦秋の頃の際やかさとは、またひと味違った美しさを、見せてくれるようになります。

母体に送る養分を光合成によって生み出す役目を終え、地上に舞い降りた木の葉が、土に還りはじめる時じっと滲ませる、侘びた美しさです。

朽葉四十八色。平安王朝の人々が、衣の重ねの色目として見出した多様な色合いは、朽葉、という言葉から私たちが連想するよりも、もっと鮮やかな黄色を基調にしていたようです。けれども、朽葉色という言の葉を残してくれたお陰で、朽ちていく葉にも美しさを見る感性を今に伝えてくれていることに感謝したいと、ひとつとして同じ色のない落ち葉を前にして思います。

そうそう。
父のこの感性。
幼い頃から、わたしが触れてきたもの。

そして、知らぬ間にわたしの価値観の一部となっているもの。

父のエッセイを読んだり、森のことを父と話したりするうちに、反抗期のよろいが完全にとけた。

幼い頃、父とのコミュニケーションの中心は、自然の営みにあった(と思う)。
そして、大人になった今も、コミュニケーションの中心は自然の営みのこと。

だからわたしは、未来に残したい風景は何か、と問われたとき、
豊かな森にある、自然の営みから生まれる風景、と答えたい。

豊かな森を守ることは、世界的に見ても大きな課題だし、
「サントリー 天然水の森」の役割でもある。

けれど、わたしが未来に残したいと思う理由は、もっと感情的なこと。

そこから発見、感動を得ることもあるから。
そこから会話が生まれることもあるから。
そこから親子の絆が深まることもあるから。

「#未来に残したい風景」。
きっとそう思う背景には、さまざまなストーリーがあるのだと思います。

みなさんが未来に残したいと思う風景は、どのようなものでしょうか。
いろいろな思いが読めることを、楽しみにしています。

詳しくはこちら。


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