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間(ま)を見極める

「よくカーテンこんなうっっすくて寝られるね。」

わたしの部屋のカーテンはとにかく薄い。

友人は朝眩しくて起きてしまうからいやだ、
とぶつぶつ言いながら毛布を顔まで被る。

でもわたしは、朝なのに部屋が真っ暗なのは
どうも苦手で、わたしの部屋の朝は、
とても明るい。眩しい。それがいい。

天気がいい朝は、カーテンを開けて、
思いっきり太陽を浴びる。
それで目がグッと覚めた気になる。
光合成をするわけでもないのに、
人間のわたしも自然界に生きるもの、
太陽があるだけで元気がでる。

だからわたしは、太陽が差し込む
あるくらいうっっすいカーテンが好みです。

光合成をして生きている植物にとっては、
もっともっと死活問題。

森の中で、ふと見上げると、モザイク模様が見えます。

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葉っぱが、重なることなく、広がっていて、
このような景色を作り出しています。
葉っぱの隙間からキラキラと差し込む光には、
つい心を奪われるものです。

学生の頃、習った人も多いと思いますが、
植物は光のエネルギーを自分たちの栄養に
変換して生きています。
そう、先出している、”光合成”というやつです。

生きる上で欠かすことのできない光を求めて、光の当たるところへ、せっせと枝を伸ばし、葉を広げる。

まるで椅子取りゲームのように、隙間を埋めていくのです。そして、そのゲームに負けたものは、仕方なく枯れてしまう。

森にとって、植物にとって、この光が差し込む「」がとにかく大事なんです。

のない真っ暗な森

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放置された人工林が多い日本では、この写真のように真っ暗な森が多い。ちょっと寒気すらしてきます。

光の椅子取りゲームで負ける樹が多出するだけでなく、樹よりも背丈の低い草や花などの植物には光が届かないので、そもそも育たず、さらにはそれらをエサとする動物たちもいなくなり、そして、土を耕す微生物ももちろんいないので、カッチカチの地面になります。

と、まぁ、これまでの記事で書いたことの総復習みたいになってしまって、申し訳ないのですが、光が森に差し込まないことによって、森の元気は失われてしまうのです。

なぜ、こんな放置された人工林が日本に広がっているのかといえば、一番今に繋がっているのは、
戦後のようやく混乱期を抜けたころのようです。

戦争で焼け野原になった街を復興するために、
スギやヒノキなどの針葉樹(真っすぐな木)の
木材需要が増え、いっぽう石油やガスなどの
燃料が一般化したため、
クヌギやナラなどの広葉樹を使う薪炭の需要が減少しました。

お・・・つまり?

稼ぐためには、
「広葉樹があるところ、全部スギやヒノキにすれば、いいんじゃないの?」
「そうだ!そうだ!」
ということになりますよね。

まだまだ貧しかった日本は、
いけいけ、どんどんと、国をあげて人工林を
拡大していったのです。

ただ、その直後に、
「木材輸入の自由化」がなされます。
それはそれで無理もないことでした。

いくら成長が早いスギやヒノキでも、
建築に使えるほどに大きくなるまでには、
最低でも40年や50年はかかります。
街の復興を、それまで待ってくれ、
とはいくらなんでも言えません。

こうして、日本人がせっせと植えた
スギやヒノキがまだ育ち切らない間に、
広大な土地を持つ外国から大量の木材が
輸入されてきたのです。しかも安価で。

これはもう、勝てないですよね。
そこに山村の過疎化や高齢化も相まって、植えっぱなしで、その後の手入れがなされず、放置される人工林がどんどん増えていったわけです。

人間の生活ばかりを便利にしようとして、闇雲に樹を伐採したり、偏った樹種ばかりを植樹したり、人間はどこまでも身勝手だな、と思いつつ、

「まあでも、今植樹して、自分の子供が大きくなる頃には、この樹で食べていける、子供に安心を与えられる、と本気で信じていたわけだからね、良かれと思ってやっていたことだから。」

そろそろおなじみになってきたでしょうか、
森の師匠のこんな言葉を聞くと、
ん〜なるほどな〜と妙に納得してしまって、
全面的に否定する気持ちには、どうもなれません。

森と向き合う師匠にとって、こういった類の森を良い方向に持っていくのも重要な役目の1つなわけです。

そして、ここで行われる整備方法の1つが「間伐かんばつ」です。一度はその名を聞いたことがあると思います。
要は、樹と樹にを持たせるために、一定の樹を伐り、光を取り入れる、ということです。

を見極める

「ツッコミはが命。」
とある大御所芸人さんがテレビで後輩芸人に言っていたのを覚えています。

たしかに。
ツッコミを際立たせるための
ボケに余韻を持たせるための
よくよく考えると目的によってツッコミまでのを見極めることってとても大事。

早くツッコミを入れるか、ためるのか・・・そのがネタをよりおもしろく、おいしくして、わたしはまんまとケラケラ笑い転げてしまいます。

間伐かんばつ」も同じ。
目的によって、そのを見極めることが大事になってきます。

間伐かんばつ」と聞くと、林業のイメージを持つ方もいるでしょう。その場合、目的は「いい材を生産すること」になります。だから、規定に合うように、真っ直ぐと、年輪の揃った樹になるように整備していきます。

ただ、サントリーの目的は、
「多様性のある豊かな森にすること」。

ヒノキやスギだけではなく、カエデやヤマザクラなど広葉樹も元気に育ち、草や花も生え、多様な生き物が暮らす、生態系のバランスのとれた豊かな森です。

「ほら、このスギ。」

師匠が、ある樹の前にわたしを呼び寄せます。

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「回りのスギと比べるとものすごく太いでしょ。"暴れ木"といって、年輪の幅が広くて木材としての需要はないから、林業では真っ先に伐られちゃうんだけど、ほら、根も太くて、枝の張り方もしっかりしていて、土壌の保全や斜面の維持にいいと考えて残したりしているんだ。将来、ここにタカが巣を作るかもしれないし。」

つまり、このように成長がよく、将来の森のドンみたいな存在をあえて残すサントリーと、それらをいの一番に伐ってしまう林業とは、のつくり方が異なるわけです。

ただそれも、森の師匠の野生の勘に頼って、伐っているわけでは、当然ありません。
いくら知識と熱量が度を超えてるからといって、さすがにそこまでの超人ではない。

森と向き合うため、後悔の歴史を繰り返さないため、調査に調査を重ねて伐採する樹を決めています。あらゆる分野のすごい人たちが集結して、科学に答えを求め、その結果を元に、決めています。


森が豊かになるための、樹と樹の
その間を見極めること、そして、をつくること、これも「サントリー 天然水の森」の大事な役割です。

森づくりの最前線の取り組みをここにまとめています。
ぜひ、こちらからも師匠の活躍をチェックしてください。
(サントリーの元に集結した、あらゆる分野のすごい人たちの顔も見られます・・・)

今回も最後まで見てくださったそこのあなた!
明日は、のいいツッコミができちゃう、気持ちいい1日になりますように。

ありがとうございました。
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